日本が誇るシャーロッキアン翻訳家 日暮雅通先生と対談させていただきました!!

いつもノサカラボを応援してくださり、誠にありがとうございます。旗揚げ公演、音楽朗読劇「シャーロックホームズ」まで、間近となって参りました。そして、このタイミングで、念願のシャーロッキアン翻訳家・日暮雅通先生との対談がかないました!!貴重で興味深いお話をたくさんしてくださり、そして大変面白い内容の対談でした!先生誠にありがとうございました。以下、先生との対談の様子です、是非ご覧ください。

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野坂「本日はありがとうございます。はじめして、ノサカラボ演出の野坂です。それで、先生その…今日は色々、シャーロック・ホームズについて教えていただけると来たんですが…」

日暮「思い出せる限りは、何でも聞いていただければお答えします。」

野坂「よろしくお願いします。僕の方は、まだ脚本の方にかかりきりなんです。語りの文章が基本多いじゃないですか。でも全部会話に置き換えようとしてるんです。」

日暮「そうですか(笑)」

野坂「ワトソンって、原作だとそんなにユニークな感じではないじゃないですか。でも、ホームズとの掛け合いで進めて行くためには、ワトソンを少しユニークに作っていかないと成立しなくなってくるって言うか。最初はなるべく原作のままの会話で成立させようと頑張ったんですけど、シャーロックが喋った後にワトソンが『そうか』くらいしか言わないから」

日暮「そうそう(笑)確かに原作だと、そうなっちゃってて。どうしてもワトソンが書いてる設定ですから、ホームズばっかり喋っててワトソンは喋る代わりに情景描写しちゃうから。」

日暮「僕らが翻訳する時に、大人向けと子ども向けと両方やってるんですが、子どむ向けの場合って、大人向けと同じ様にダラダラっと長く情景描写をしちゃうと子どもは飽きちゃうので、出来るだけ会話を多めにして、情景描写を短くしていくってパターンでやったりするんですけど。それはもしかすると、舞台の脚本につながるかもしれませんね」

野坂「『ボヘミアの醜聞』はやっぱり大変で、アイリーンとノートンが結婚するのにホームズが立ち会った回想シーンも、セリフにして作ってる状態です。原作ではホームズがワトソンにパっと喋って終わってるだけなんですが、セリフにして、回想シーンですって作ってます」

日暮「それで良いと思いますよ。そうしないと、あれってホームズがワトソンに実は僕が教会に言ってこういうことをした~って言ってるだけだから。そうなるとホームズのセリフだけ長くなってしまう。だから、劇中劇みたいな形にして、結婚式のセリフを作って、現在に戻ってくるって感じで良いと思います。」

野坂「『ボヘミアの醜聞』って、やっぱり、アイリーン・アドラーでこんなに有名と言うか…」

日暮「そうなんです。あの…アイリーン・アドラーって1回しか出てこないんです。それにホームズのお兄さんのマイクロフトもせいぜい2~3回した出てこないし、モリアーティ教授も本当に姿表すのは1回なんです。なのに、あの3人って必ず映画では、一番大きい悪役と言うか凄くキツイ目立つ役として描かれてるです。でもそれは、原作からするとおかしなことなんですけど。でももう今は観る側も、3人が活躍することを求めてる感じがあって。だからアイリーン・アドラーは必ず出てくるキャラクターになってますよね」

野坂「本当にそうなんですよね。それから『花婿の失踪』も難しいなと思っていて。所説あるじゃないですか。ホームズがサザーランド嬢をあんまり好きじゃなかったっていう。その当時で言うと“今風な感じ”だから、ホームズはあんまり気に入ってないって言う説もあるじゃないですか。でもこれ、どうなんですかね??気に入ってなかったんですかね?」

日暮「その辺は多分、オリジナルのストーリーがあって、その後百何十年か後にいろんな人がいろんなこと言って、説がいっぱい出来てしまってるので、そこはあまり掘り下げる必要は無いかもしれません。今、脚本を作ってる段階で、こうなったていう考えで良いと思います。こうしなきゃいけないって言うのは無いから。」

野坂「なるほど。ちょうど時期的に女性解放みたいな物が高まってたんでけど、コナン・ドイルはそれに触れて無いっていう」

日暮「メアリーっていう登場人物が至るところに出てくると思いますけど、メアリーって大体反感を買う様な人間になってるんです。それは、コナン・ドイルの母親のメアリーとの関係が問題があったからっていう深読みの説もあります。」

野坂「ああ!まさに『緑柱石の宝冠』もメアリー・ホールダーですよね」

日暮「そうなんですよ。コナン・ドイルは母親とは非常に複雑な問題があって、それがストーリーにも現れてるって、そういうのを追いかけてる方もいますけど、でも脚本書いてたらこうなったって言うのでいいんじゃないか?と思いますけどね」

野坂「緑柱石も大変で、足跡が~とかのとこはバッサリ切って、こうでしたって言って終わらないと、この描写を口で説明するのは無理だなと。切らないなら、それこそ映像を出して説明していかないといけなくなるんで」

日暮「そうなると朗読ではなくなってしまいますよね」

野坂「そうなんです。だから、足跡の描写に関してはバッサリ切って、この足跡見たら、こうだったんだ、くらいで作ってます」

日暮「ミステリー劇って大体そうですけど、一番最後に謎解きがあると思うんですけど、謎解きを長々と一人でずっと喋ってちゃうと、退屈になってしまう感じがありますね。それをぶった切って、推理の説明して行く中でワトソンとの会話を入れていいって、やりとりにしていかないと、ちょっとキツイですよね」

野坂「あと、気になってることとしたら、『花婿の失踪』で、ホームズはサザーランド嬢を嫌いだったのか?って言うのをどこまで書くかなんですけど。ワトソンがサザーランド嬢に対して結構ひどいこと言ってるんです(笑)間延びした顔だ~みたいなこと言ってるんですけど」

日暮「(笑)」

野坂「でも、今、サザーランド嬢をコメディタッチな女性にしようかなと思ってまして。コケティッシュな。」

日暮「良いと思います。まさにそういうタイプの現代娘で。タイプライターの仕事は、当時は最先端の仕事ですから。しかもお金もあって。そういうコメディタッチなキャラクターで大丈夫だと思いますよ。」

野坂「なるほど。それと悩んでるのが、『花婿の失踪』の着地点をどうしたら良いかと思ってるんです。『緑柱石の宝冠』も…」

日暮「緑柱石も結局、最後犯人がいなくなっちゃって。いわゆる普通の犯人が最後に捕まって終わるっていうミステリーじゃなくて。それでも最後のホームズのセリフで、ああいう連中はこれからも苦労するんだよっていうタイプのラストですよね」

野坂「そういう意味では、『花婿の失踪』のサザーランド嬢とお義父さんもドラマチックですよね」

日暮「原作からだと、アイリーン・アドラーが結婚するノートンって言う男のキャラクターがもえてこないんですよね。つまらない男と結婚したのかなぁ」

野坂「(笑)」

日暮「良い男だったのかなぁ?ホームズは決していいと男じゃなかったから。コナン・ドイル自身が、あまりホームズはハンサムじゃないよって言い続けてたらしいですね。」

野坂「へえ」

日暮「当時、舞台俳優で、ホームズ役をして大人気になった人が凄いハンサムだったんですよね。そうすると、コナン・ドイルは『違う違う』って。その後に映画化される時に、あんまりハンサムじゃなくて半分ハゲかかった俳優を見て、『あれこそホームズだって』言ってたらしいです。」

野坂「そうなんですね(笑)あと、定番の質問なんですけどやっぱりホームズはアイリーン・アドラーのこと、好きだったんですかね?」

日暮「ああ、それはいろんな見方があって。凄くがちがちのホームズ研究家の方たちの考えと、いろんなホームズの映像作ったりパロディ作ったりする人たちと考えが違いますから。原作をもとに加工して、いろんなものを作る場合は、ある程度におわせないと面白くないですよ。結局アイリーン・アドラーのこを、全然気にもしてなかったら、どうしてもドラマにならないでしょ?だから、ホームズにとっては忘れられない相手であると。忘れらないのは、自分を負かしたから忘れられないのか、恋愛対象として忘れられないのか。その辺はよくわからないって言う感じでだいたい進んでますね。

研究家の人は、そんなことは絶対無いって言う人も多いんですけど。面白さを足そうとしたら、やはり何かあったんじゃないかと。何故ならば、最後写真を追って部屋にあるはずだと言うから、常にアイリーン・アドラーを見ていたんじゃないかと。と言うことは、二人の間には何かあるんじゃないかと。極端な人たちの間では、ホームズとアイリーンを結婚させてしまったり、二人の子どもがいたりしちゃうんですけど、そこまでやるかどうかってことですね」

野坂「それは…痛いほどよくわかりますね。ドラマ作ろうとすると、ドラマが必要になりますもんね。」

日暮「そうなんです。結局何にも気にならなかったってなると、そこからは何も物語が産まれないですからね。それで、もっとさじ加減が難しいのが、ホームズとワトソンの関係ですね。どこまで作って良いのか。どこまで強調していいのか。その匙加減が難しいですよね。作り手によって、その匙加減も違うので。二人がデキてたってとこまで描いてたりする作品もありますから。ふり幅が凄いですから。」

野坂「そうですよね。ホームズとワトソンが女性同士っていう設定で、しかもカップルっていう設定の物だったり。でもこの設定の方がドラマチックだったりするってことですよね。」

日暮「これは完全にオリジナルではなく、パロディなんだよって言う作り方をしてるなら、女性同士、男性同士でも、そういう関係だったっていう作り方もありますから。映画も舞台も必ずそうなんですけど、小説の場合も、なるべく原作に忠実なオーソドックスなパターンと、完全なるパロディと大きく分けると2種類あって。オーソドックスな場合だと、今回のノサカラボの『シャーロック・ホームズ』もそうですけど、本来の二人の設定と、舞台設定を変えないっていうこと。

ここから逸脱して、完全なパロディにすると、原作にはいない全然違うキャラクターが出てきたり、物語にないシーンをバンバンやったり、そういう。映画もそうですよね。一番最初に1902年くらいに出てきた大当たりした舞台劇と言うのが、舞台劇の俳優が脚本も書いてて。最後には、オリジナルで出てくる女性とホームズを結婚させるんです。その女性キャラクターは原作には全然出てこないんですけど。これはかなり逸脱したパロディのパターンだったんです。でもジェレミー・ブレットの、グラナダテレビの、NHKでやってたやつはかなり原作に忠実に、今回のノサカラボのホームズみたいに忠実にドラマ化して作ったんです。ただ、後半に行くと、脚本が書きにくいってなって、だいぶ変わっちゃいましたけど。」

野坂「あの作品も、俳優の年齢とともに…」

日暮「ジェレミー・ブレットが病気になっちゃって、薬でむくんじゃったんです。だから仕方なく、出演シーンを削って、別の脚本にしていったんですよね」

野坂「『緑柱石の宝冠』と『花婿の失踪』はドラマ版ではやってないんですよね」

日暮「あ、そうかもしれませんね。」

野坂「『緑柱石の宝冠』はやってるとこがあんまり無かったんで、じゃあノサカラボでやっちゃおうって」

日暮「(笑)そう言う選び方も面白いかもしれませんね」

野坂「『緑柱石の宝冠』何でこんな大金を最初に借りに来たんだ?っていう疑問がまずよね(笑)ある高貴な人が(笑)」

日暮「借りに来た人が誰かって言うのは、色々な説がありますが、だいたいあの頃なら、ビクトリア女王の息子がしょうもないやつで、しょうもないって言うとアレですけど。でも、その息子は勝手に王冠持ってきて金借りに来そうな人だと思われてたんです、当時は。でも、有りそうあり得無さそうで言えば、最後に王冠を盗んだやつと、王冠を取り合いして、はがれるって言うのがね。」

野坂「原文だと、ピストルの様な音がするって書いてあるんですが、原作がそう書いてあるんで、残してはありますが、中々そんな音ならないだろって」

日暮「バリって言うね…折れる音かなと思うんですけどね。ピストルのバーンって音の様なショックと言うか、衝撃音だとすると、バリっていうより、ボキって感じかな?」

野坂「捻じれてるって書いてあるから、でも捻じれてるのに何で音が??と言う(笑)」

日暮「そうなんですよ(苦笑)翻訳してるとね、これでいいのかなって思いますよね。忠実に訳しすぎると、えぇ?ってとこがたくさんあるから」

 

野坂「(笑)面白いなと思うのが、コナン・ドイルもそうなんですけど、イギリスでこんなにも推理物が花開いていくのは、なんでなんですかね??」

 

日暮「あの、推理物が1880年代終わり頃に出てきたんですけど.その1880年より前に探偵ものみたいなものがあったことが無いんです。だけど、まだ探偵小説とかミステリーみたいなジャンルが無い時に、犯罪者の回顧録とか、現実にいた刑事や警官の回想録とかはあって。その中では、推理して~みたいなきちんとした小説では無かったんです。そこに、何人かの探偵を登場させて犯罪小説を書くって言うのはあったんですそど、それには謎解きとかは無かったんです。いきなり逮捕しちゃったり、何かカンで捕まえちゃったり。それじゃあつまらないっていうことで、論理と科学的な捜査とかで謎を解く探偵を作るのはどうかと言うのが背景ではあります。それまでに探偵はいたことはいたんですが、全然謎解きの面白さとかはあんまり無かったですね。一番有名なのはエドガーアランポーの『モルグ街の殺人』ですね。ネタばれすると犯人がオラウータンだったとか。盗まれた手紙って言うのが、これは『ボヘミアの醜聞』の元ネタになったと言われてるんですけど。隠し場所を突き止めると言う話で。アイリーンが写真を隠してる場所を突き止める。ポーの場合はオーギュストデュパンと言うフランスの探偵シリーズが3作で終わっちゃってるんですね。非常にデュパンはすごく変わり者で、推理とか謎の論理系のことを言うんですけども、それがホームズ物より、二人で冒険的な動きをしながら推理して謎を解いくという形が結果的に作られなかった。それからだいぶたって、ドイルが出て来てその、ホームズと言うキャラクターが人気になったっていう形になったってことですね。」

野坂「なんですよね。デュパンとか二人いるんだけど、特に二人で何もすることなく…」

日暮「そうそう(笑)」

野坂「どうしたもんかっていう」

日暮「ここはワトソンが語りてなんだけど、全面に出てきて、二人で。一番最初の『ボヘミアの醜聞』って、今から130年前に雑誌に載って、大人気になったっていう非常にエポックメイキングだった物なんです。だから今年『ボヘミアの醜聞』をやるのは、非常に意味のあることなんです。これは打ち出してもいいかもしれない。」

あきやま「なるほど、打ち出します(笑)」

日暮「そこでちょうど130年前の『ボヘミアの醜聞』がストランド・マガジンに載った時のタイトルが『アドベンチャー』だったんです。緋色の研究も四つの署名もアドベンチャーでは無かったんです。『アドベンチャーオブシャーロック・ホームズ』をここで初めて打ち出したんです。だから、当時は、ホームズとワトソン二人の冒険物語のイメージだったんです。だから、最初から探偵探偵ってことでは無くて、二人がいろんな冒険をして事件を解決していく、一連の物語が受けたみたいですね。

僕ら日本のホームズクラブの1年に一回出してる季刊誌の今年はの特集が『ボヘミアの醜聞、130年』なんです。ストランド・マガジンに載ってちょうど130年なんで、それを記念して特集しますってことになってます」

日暮「また細かいことを思い出したり、思いついたりってこともあると思いますから、是非必要であれば聞いていただいてかまいません」

野坂「ありがとうございます。最後に1個だけ…あ、2つあった」

全員「(笑)」

野坂「ボヘミアって3月っで、緑柱石が冬なんですけど、花婿の失踪の月がわからなくて…」

日暮「あの、物語に書いてないものが多いんですけども、それに対していろんな研究家が、いろんな説を書いてるものがたくさんあるんですが、今、ほとんどのシャーロキアンが使ってるのが、このベアリング=グールド言う研究家の人の年表なんです。花婿の失踪は…1887年10月ですね。緑柱石は1890年12月、ボヘミアは…1887年5月になってますね」

野坂「5月!?へ~」

日暮「これ、要するに原作でこの描写は3月はありえないから、5月っていう」

野坂「そうですよね。コナン・ドイルも結構間違えてますもんね」

日暮「そうそう、ちょいちょい間違えてますから」

野坂「あ、でもありがたい!5,10,12月って季節が全部変わるから」

日暮「確かに季節って言うのは大事ですよね」

 

野坂「本日は、本当にありがとうございました、最後に細かいところをバタバタっと聞いてしまい、すみませんでした。」

日暮「いえいえ。また何かあればメールでも良いですし、聞いて下さい。

野坂「ありがとうございます、今後ともどうぞよろしくお願いします。」